モネの世界へ | シャンブル・ミルフィーユ Chambre Mille Feuilles

2021/01/24 02:27

無性に絵が見たい、と最近思うようになっていた。


思えば、去年アルルのゴッホが過ごした修道院を訪れた直後の、日本でのゴッホ展に行ったっきり、
美術館に行っていなかった。
そう、このコロナ禍もあって美術館へ足が遠のいていたのでした。

秋頃から外出自粛もちょっと緩んだ感じもあったけれど、
なんとなく東京まで出て行くのは・・・って思ってた。
でもロートレック展もあってるし、年が明けたら行ってみようかな、行きたいなって思っていたのに
また街が落ち着かない状況になって。
結局それも終わってしまったんですよね(>_<)

私は絵心もないし、取り立てて絵に詳しいわけでもない。
でも、なんだろう・・・
やっぱり、きれいな色が見たいと思う。
きれいな色を見ると、心が揺さぶられる。
色のグラデーションの世界に心が引き込まれたとき、ドキドキする♥
そんな感動を味わいたい、と心が叫び出した。

それで手に取ったのが、この本。

『図説 モネ「睡蓮」の世界』 著者は、三菱一号館美術館の学芸員 安井 裕雄さん。
夫は結構こういう本が好きで、家には何冊かあるけれど、私がこういう美術書を買うのははじめて。

モネの絵は、マルモッタン・モネ美術館展が来日したときに見て以来かな?
松方コレクション展があった時も行けなかったから~。
マルモッタンで見た、『印象派・日の出』の印象が強烈で、しばらく立ち尽くしてしまったのは今でも忘れられません。
そして、晩年、ほぼほとんど目が見えなくなった頃に描いた庭の絵にも感動しました。

でも、モネといえば『睡蓮』
その一枚一枚は、これまでにも何度も見ているし、そのたびに感動はしているのだけれど、
今回この本を手にして、睡蓮の連作がようやく私の頭の中で繋がりました。
美術展で公開される絵には数に限りがあるし、年代別に並んでいたとしても、そこに人混みがあったり、
順路が乱れたりして、1点1点見比べながら鑑賞できるほどの技量が私にはなかったのです^^;

でも、この本は1895年にジヴェルニーの庭が完成してから、1926年に亡くなるまで描き続けた水の連作が
年譜に沿って図説されていて、その連作が初期からどう変化していったかがとてもわかりやすく記されているのです。

一生涯、睡蓮の池を描くなんて、どんなに美しい庭でも、いい加減飽きてしまいそうなものだけど・・・!?
けれどその一枚一枚は、朝の光の加減だったり、昼の雲の動き、夕刻の風に撓る柳の木の陰によって、決して一枚として同じ表情を残さない。
それは、当たり前の日常の中に、ただ時に流されていたのでは気づくことの出来ない小さな幸せだったり、喜びがあること。
苦しいと思う時があったとしても、いつかそこに花が咲き乱れるように、宇宙は変化していくものだと。
小さな苗木が大木に育って行くように、赤ん坊だった子供がいつの間にか心も体も成長して、いつの間にか親の手を離れてしまったかのように、人は手をかければ、必ず成長していくのものだと。
なんて、そんなことを誰も意図していないかもしれないけれど、モネが描き続けた連作の中にそんな意味を感じた。

初期の睡蓮の池は、私から見たらおおざっぱな色合いに見えたけれど、時を追う毎に色合いが淡く変化して、柔らかい色彩になり、光を帯び、色合いに力がみなぎったかと思えば、透明度の高い色彩に変化して。
やがてこれまであまり使われていなかった、燃えるような赤が交わり、すでに年老いているはずなのに、なぜにこんな力強い絵が描けるのかと思わせる、そんな風に絵は変化していくように見えました。そして最期の大作「大装飾画」。

実は、かつて夫とパリに行ったときに、夫はオランジュリー美術館のモネが見たいと、私は買い物がしたいと、二人別々の行動をした。
当時の私は絵を見ることよりも、パリでのお買い物にしか興味がなかった。
夫と待ち合わせのマドレーヌ寺院の階段で、エクレアをほおばって「これがパリの味♬」と満足していた。
今思えば、なんて残念なことを(>_<)
まあこの歳になって、こういう絵画に感動できるようになっただけ、私もようやく大人になったことかしら ^^;

今度パリに行ったら、オランジュリー美術館、行かなきゃね(*^_^*)